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今日は南パトロール(三戸方面)。天気は晴れ。起点側(三戸町)と終点側(野辺地町)では天候が全然違います。
   
巡視員さんに「午前中の巡視(野辺地方面)、雪で大変だったでしょう」と聞くと、
「やっぱり、最初の雪って怖いですよ。馴れてませんからね」と語っていました。
当出張所管内の特徴として挙げられるのが、「起点側と終点側は天候がかなり違う」。
パトロール中も、「全然、天気違いますね」と、しきりに言っていました。
 
    皆さん、早めの冬タイヤ交換をお願いします。(11月17日現在、装着率は71%です) 
                (pdf)
 
終点側(野辺地方面) 雪に覆われています。  起点側(三戸方面) 雪ひとつ降っていません。 

 

 22歳の冬。サッカー好きの私は、サッカーの母国・英国へ旅立った。
マンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードを訪れた際の話。
時間が止まっている時計台が目に入った。
「なぜ、あの時計は時間が止まっているんですか?」と英国人のガイドに聞いたところ、
「『ミュンヘンの悲劇』ってご存じですか?、あれは選手を載せた飛行機が墜落した時間を指しているんです」

「ミュンヘンの悲劇」。
1958年2月6日、ドイツ・ミュンヘンのリーム空港で起こった航空事故。
乗員・乗客44名のうち、23名が死亡、ユナイテッドの主力選手の多くの命が失われた。
(ベオグラードでのチャンピオンズ・カップ準々決勝レッドスター戦の帰国途中だった)
「英国人だったら、この出来事を知らない人はいません」、ガイドはそう教えてくれた。

競技場のとなりにあるユナイテッドの歴史博物館。名門クラブらしく数々のタイトルが展示されていた。
数々の名選手たちの写真、その中には「ミュンヘンの悲劇」で亡くなった選手も含まれていた。
モノクロで笑顔で写っている一人の青年。
「彼はダンカン・エドワーズ。シュートが上手く、ペナルティエリアの外からでもゴールを決めていました。
18歳でイングランド代表に選ばれた彼は、マンチェスターのみんなに愛されていました。」と、
ガイドは写真に見入る僕に教えてくれた。
「彼も『ミュンヘンの悲劇』で亡くなりました。もし彼が生きていたら、
1966年、ウェンブリー競技場でワールドカップを掲げたのは、ボビー・チャールトンじゃなく彼だったでしょうね」

その後、ガイドは僕にこんな話をしてくれた。
「人が死ぬって言うことは、その才能や物語が地球から無くなるってことなんです。
人が死ぬって言うことは、それだけで悲しいことなんです」



2011年3月11日14時46分、東北地方の時計は止まった。
犬が好きだった人、野球が得意だった人、何かを成し遂げようとした人、
明日、好きな人に告白しようと思った人、多くの才能、物語が一度にこの地球上から奪われた。
ゆっくりではあるが復興に向けて様々な人が時計の針を少しづつ動かしている。
でも、私たちは3月11日という日を一生忘れることはないだろう。
少しずつですが、東北は復興に向けて着々と歩み続けています。  
  パトロール用ヘルメット「がんばろう!東北」

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