シリーズ:平内町土屋はいま!
○奥州街道とは…
   →奥州街道 平内編を参考
青森市における奥州街道の軌跡

○善知鳥崎
 平内町から青森市に入り浅虫温泉を抜けると、奥州街道は現在の善知鳥トンネル付近に辿り付きます。この場所は、トンネルが無かったころ(善知鳥トンネルができたのは明治24年ごろ)、トンネル海側の波打ち際にある岩に板を渡して歩いており、とても危険な道だったようです。
 なお、今の護国寺付近を通る山越えルートもあったようです。

昔はトンネル横の波打ち際を歩いていたようです
写真は現在の国道4号善知鳥(うとう)トンネル
○野内関所跡
 浅虫から青森方面へ行く(現在の国道4号ではなく、久栗坂の青森敬仁会病院付近から県道259号方面に入ります)と、南部藩に対する重要な防御拠点となっていた「野内関所」に辿り着きます。津軽藩によってこの場所に番所が置かれ、周辺の防御をがっちりと固めていたようです。
 ちなみに、当時のこの関所の通行人は1日わずか3人程度しかなかったようです。
○三譽(みよ)の松
 さらに青森市内方面へ向かうと、奥州街道は現在の合浦公園内を通っていたようです。現在そこには、推定樹齢約460年の「三譽の松」があり、当時の風格を思い起こさせます。またここまでの行程上の道路沿いには、今なお当時を思い起こさせる松の木が立ち並んでいる場所もあります。
現在の合浦公園内
○善知鳥神社
 奥州街道は、合浦公園から善知鳥神社付近を通り、さらに油川、外ヶ浜、松前の方へ進んでいきます。なお油川付近で弘前方面へ向かう「羽州街道」と合流しています。
○御仮屋跡(青森県庁)
 弘前津軽藩はかつて安潟だった善知鳥神社付近に港町を開き青森村と名付け、奉行書や御仮屋(おかりや)を設置しました。現在、青森県庁東玄関脇に御仮屋跡の碑が立っています。