最上川の概要

最上川は、その源を山形、福島県境の西吾妻山(標高2,035m)に発し、米沢盆地を北上した後、置賜白川等の支川を合流し、山形盆地で須川、寒河江川等を合流し、さらに北上を続け丹生川、最上小国川等、大小支川を合流した後、新庄盆地に入り、流路を北西に変え、鮭川を合流して最上峡を抜け、穀倉庄内平野を貫流し、酒田市において日本海に注いでいます。最上川の幹川流路延長は229km、流域面積は7,040km²(うち庄内地域は、幹川流路延長31km、流域面積531km²)の一級河川です。
酒田河川国道事務所は、この最上川の下流部(37km)の改修と管理を担当しています。

河川名の由来
 最上川の呼び名については、アイヌ語で「毛賀美」と書き「珍しい岩石の多いところ」という説がある。一方で、庄内平野から上がってきたところが最上峡であり、ここがモモ(崖)の地であり、モモがママ(崖)であり「モモ」の上(カミ)にある広い盆地が「モモカミ」の地であって、この約化されたのが「最上」であるという説とがある。

改修の経緯

年次 事項
明治17年~36年 国直轄による航路改良を目的とした低水工事(大石田~河口)を施工。
大正6年9月 直轄改修工事に着手。当初計画流量決定。
大正10年~昭和7年 最上川河口を酒田港と分離する河海分離工事。
昭和24年 第1次流量改定。赤川は最上川から完全に切り離す計画変更。
昭和28年6月 支川赤川を最上川から完全分離(赤川放水路通水は昭和11年)。
昭和38年 第2次流量改定。
昭和39年6月16日 新潟地震により堤防被害。
昭和40年4月1日 工事実施基本計画決定(一級河川指定)。
昭和42年8月28日 羽越豪雨。
昭和46年~50年 支川相沢川捷水路(ショートカット)工事。
昭和46年~55年 白川ダム建設。
昭和47年~平成2年 寒河江ダム建設。
昭和49年4月1日 第3次流量改定(現計画)。
昭和50年~平成9年 大久保遊水地建設。
昭和59年~平成23年 長井ダム建設。
平成元年~7年 最上川さみだれ大堰建設。

最上川流域図