1-1-2 圏域の水害と治水事業の沿革
(1) 圏域の水害
 最上圏域の洪水の原因は、主に融雪出水と前線や低気圧による大雨である。表1に戦後大きな被害をもたらした昭和49年、50年水害、表2に平成元年以降の水害の一般資産被害※1状況を示す。平成元年以降は、2年に一度程度の頻度で浸水被害が発生している。

 
表1 昭和49年7月、昭和50年8月の一般資産被害発生状況(最上圏域)
表2 最上圏域における平成元年以降の一般資産被害発生状況
 
1) 昭和49年7月31日から1日にかけての洪水
 本洪水の原因は、北海道北部にある低気圧の中心から南西に日本海まで達する前線の活動が活発となり、山形、秋田の県境付近に停滞した前線が鳥海山、神室山を中心に局地的な大雨を降らせたもので鳥海山では31日の日雨量228mm、新庄204mm、酒田67mmであった。
 新庄では1日6時より7時までの時間雨量73mmという新庄測候所開設以来の豪雨を観測した。このため、新庄市内を流れる升形川が氾濫するなど、沿川民家および新庄市内のいたるところで床上浸水が発生した。一方で鳥海山では1日3時より4時まで47mmを記録したが、本川上流部では比較的少なく、山形の総雨量は34mmであった。
 この洪水により、死者2名、負傷者5名を出したほか、全壊流出6戸、半壊54戸、一部破壊25戸、床上浸水695戸、床下浸水2,076戸、耕地被害は約4,530haに達した。

  2) 昭和50年8月5日から6日にかけての洪水
 5日夜半に寒冷前線の南下により降り出した雨は6日明け方から山形、秋田の県境を中心に一時間最大61mmという激しい豪雨となり、合計雨量で鳥海山347mm、大台野250mm、金山226mm等に達する記録的な大雨となった。
 このため、支流の鮭川、真室川、金山川等の出水は、6日明け方から始まり、八千代橋、真室川とも9時に1回ピークを記録し、12時頃まで若干減水した。その後急速な上昇をつづけ、八千代橋では14時に最高水位6.86mとなり計画高水位を1.61m上まわった。
 一方、真室川の新橋では、13時30分に計画高水位を0.42m超え4.30mに達し、その後堤防を越流した。また、下流の真木では、6日16日時に計画高水位を1.01m超える5.26m、古口では警戒水位5.50mを超える5.51mを記録した。臼ヶ沢、下瀬観測所においてもそれぞれ警戒水位を突破した。
 被害は鮭川流域に集中し、特に上流部においては、土砂を含んだ鉄砲水や土砂流により甚大な被害を受けた。また、この流域の中心地である真室川町は一瞬のうちに町の3分の1が濁流にのまれてしまった。
 この洪水により、死者5名、負傷者28名をはじめ、家屋全壊48戸、半壊44戸、床上・床下浸水等746世帯、耕地被害は約2,814haに達した。

  (2) 治水事業の歴史
 最上川中流部は、昭和32年に立川町清川から大石田までの約63km間が国直轄施工区域として編入され、翌年から本格的な河川改修が始まった。山形県による河川改修は、昭和35年から最上小国川及び泉田川において最初に行われ、その後、昭和49年7月洪水、昭和50年8月洪水の被害を受け、升形川、新田川、真室川等において災害復旧工事を実施してきた。特に昭和49年に甚大な被害を受けた新庄市内では、抜本的な治水対策として中の川放水路を施行している。
 また、最上圏域のダム事業は、昭和38年に真室川町の鮭川に洪水調節と発電を目的とした高坂ダムの建設に着手し、昭和41年に完成している。昭和55年には、金山町の金山川に洪水調節及び水道用水の確保を目的として神室ダムの建設に着手し、平成5年に完成している。

※1 一般資産被害 住宅や商店・工場などの資産の被害を言う。 これに対し、橋や道路の被害は公共土木施設被害と言う。