1-1-2 圏域の水害と治水事業の沿革
(1) 圏域の水害
 庄内圏域の洪水の原因は、主に前線や低気圧による大雨と融雪出水に大別される。表1に庄内圏域において戦後大きな被害をもたらした昭和46年水害、表2に平成元年以降の水害の一般資産被害※1状況を示す。
 
表1 昭和46年の一般資産被害額状況(庄内圏域)
表2 庄内圏域における平成元年以降の一般資産被害額発生状況
   庄内圏域の戦後最大の洪水は昭和46年7月洪水であり、本圏域に被災戸数1904戸、一般資産被害総額6億3177万円(当時の金額)という甚大な被害をもたらした。
 この他県全体で、がけ崩れによる死者4人をはじめ、その被害は負傷者3人,道路損壊83ヶ所、橋梁流失44ヶ所、堤防決壊48ヶ所、山(がけ)崩れ121ヶ所、鉄軌道被害5ヶ所、通信施設被害2回線等の被害が発生した。
 雨が最も強く降ったのは、15日23時ごろから16日4時ごろまでで、特に東田川郡立川町狩川の時間雨量は、16日2時〜3時70mm、総雨量286mm、また隣り合った同郡藤島町では16日1時〜2時73mm,総雨量257mm(鶴岡市は、220mm以上は雨量計に浸水のため測定不能)という記録的な強雨となった。

 

(2) 治水事業の歴史
 肥大な耕土・庄内平野を生んだ最上川は、ひとたび大雨が降れば氾濫し、流域に甚大な被害をもたらしてきた。そのため藩政時代より庄内地方では幾度となく治水事業が実施されてきた。
 大正6年から、最上川のの抜本的改修工事を計画し着手した。その計画の内容は、最上川・赤川の流路の整正,最上川河口と酒田港の分離・築港(昭和4年竣工)、赤川新放水路の開削(昭和11年竣工)とそれに伴う京田川合流点の改修といった大事業であった。
 その後も、庄内地方は最上川下流部に位置する地区であるため、重点的に河川整備が進められてきた。特に昭和46年7月洪水では、庄内地区を中心に大被害を被り、田沢川、藤島川などで災害復旧が数多く行われた。また、相沢川、京田川、小牧川等においては全面的に計画の見直しが行われ、相沢川では広域的な治水・利水の観点から田沢川ダムの建設が、京田川では計画高水流量の改定が、小牧川では放水路による洪水調節が計画・実施されるに至った。

 

※1 一般資産被害 住宅や商店・工場などの資産の被害を言う。 これに対し、橋や道路の被害は公共土木施設被害と言う。